時々だった引くつき?ピクピク?ギュー?と言う眼の下の部分の動きが、
だんだん頻繁になってきた。


焦って、夫に言った。

「あるある。俺もあるある。」
「いつの間にか治まるよね。」


「うん・・・。」 



素直に返事をしたけれど、
その年の終わりにはちょっとストレスに感じてた。



ストレスで眼に痙攣が起きると言うよりも、
眼に痙攣が起きていることがストレスだよ! って自分に腹が立った。


『ストレス解消!』 
『疲労回復!』 
と言うけれど、一体何をしたらいいのかな?





2011年新年。
今年の目標は、もうちょっと要領よく生活すること。
もうちょっと長く寝なくちゃなー。
そろそろ年か・・・。
なんて考えてた。


今思えば、なんてお気楽。


まだまだ前向き。って言うか、
本当に全然心配なんかしてなかった。


たかがチック
でそんなに心配する人なんていないよね?


モデルじゃあるまいし。。。


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2011年。
多くの人の心に、特別な意味で刻まれる年となった。

3月11日、東日本大震災。

死亡者は、16000人近く。
ここ関東でも、家族、親戚、友人知人を失った方々がいた。

本当に悲惨な出来事だった。

そして、日本全体が一体となって、復興、復旧に向けて、皆が出来ることをしようと心を合わせていた年だった。

私たち家族も「 何ができるか? 」「 何をすべきか? 」考えた。
日々できる節電、節約。本当に微力だったけれど、できるだけの事はしたと思う。
そして被災地への寄付。
阪神大震災の時の10倍の金額を寄付した。
サラリーマン家庭にとってはかなりの額だった。っと思う。

夫も私も現地に赴きたかったけれど、、
夫の仕事は毎日忙しく、日本にいないことも多かったし、
私の痙攣も頻発していたから、
知らない場所、知らない人に会ってお手伝いできる気がしなかった。

その点、義母は本当に偉い。
80歳になろうと言う年なのに、自分で現地に行って、タオルセットを配るなどの活動をして来ていた。

「何ができるか」って、本当は「何をしようか決めて、実際に行動する。」って、
ただそれだけの事
なんだと思う。
しようと思えばできるのに、理由を、言い訳を作って何も行動しなかった自分が恥ずかしい。

そんな気持ちが大きくなったからか、ちょっと眼が引くつくとか痙攣するとか、ギューとなるなんて事で苛ついたり、気が滅入ったりする事はなかった。

人って、幾つもの事にいっぺんに気を取られたりできないものだ。
一番痛いところに意識が集中する。
すごーく痛いところがあると、そこばかりが気になって痛む。
そして、そこが治ると、違う二番めに痛かったところがすごーく痛むようになる。
それと同じ。

心がとても痛んでいたから、眼のことはあんまり気にならなかったんだと思う。
或いは、そんな事を気にするのが情けなくて、記憶に無いのかも。

とにかく、2011年の事を思い出す時、痙攣について細かい事は何も思い出せない。
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