微小血管減圧術の手術を受けて今日でちょうど1ヵ月。
「だからどうよ」って話なんだけれど…。
「だからどうよ」って話だから、
土曜日の今日、誰も家にいなかった。
「手術ご一か月」は、
特別な日ってわけではないけれど、
自分的にはちょっと嬉しい日だな、って思う。
手術前、私はかなりの覚悟を持っていた。
ふつうは、「良くなる」自信を持って、
或いは「良くなりたい!」という期待を持って、
根治治療である手術を考え始めるのだろうけれど、
私の場合は、
「努力を続けることに疲れてしまった。」
「違う展開が欲しい」
そんな気持ちだったのだと思う。
自分のことなのに、
「・・・と思う」という書き方をするのは変だと思うけれど…
でも、人間って、
自分の事を、自分の思考回路を、自分の気持ちを
いつも明確に分かってるわけじゃない。
あの頃の私は、いつもの私に比べてかなり“混乱”していたんじゃないかと思う。
(両側に痙攣を感じてきて、“冷静”の限界を超えちゃったのかな)
多少の障害が残ろうとも、とにかくその時の状況を変えたかった。
症状が悪くても、(通院を)2年は頑張るって決めてた。
(この頑張りはOKて思ってた。この辺が既に混乱)
術後本当に容態が悪かったら、実際はどう思ったんだろう?
手術をしたことを後悔したのかな?
先生を恨んだのかな?
そうならないように、熟考に熟考を重ねた。
後悔したり、責任転換したり、自分はそんな人間じゃないと思ってる。
でも、ほんとのところどうだったのか。
今となっては分からない。
今回の手術は、自分という人間を試される時ではなかったらしい。
私は、この時点で、とっても体調はいい。
多少痙攣は残っているけれど、さほど気にならない。
退院後から続けている1時間のお散歩は、距離がほぼ倍になった。
もう周りの人と変わらない速度で歩ける
手術創(=傷跡)はちょっとピリピリするけれど、
炭酸水を飲んだ時に、喉がピリってする、あれと同じ程度。
重い物を持つことと、パソコンを長時間することだけが、今制約を感じることかな。
こんな感じで、かなり調子がいいから、自分一人でお祝いをすることにした。
東京都渋谷区にある表参道の根津美術館に行ってみた。
折角の表参道だから、おしゃれをして行きたかったけれど、ここはペタンコ靴で我慢した。
一応まだ通院中の身だから。
根津美術館は、その庭園の美しさでも有名だ。
なので、美術館&庭園とちょっとした距離を歩くことになった。
全く問題なし。
痙攣のことも全く忘れていた。
雰囲気が良くて、人気の理由が分かった。
ただ、特別お気に入りのものは見つけられなかったけど。
今日一番の収穫は、庭園の美しさだった。
自分に自分で ≪≫
花束よりずっと大きなお花達を平穏な心で愛でた。
今日の私のビタミン
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